あやまほし

観劇・体験レポとエッセイ

減点法の人生やめたい

「なんとなく しあわせ」って実は途方もなく難しい事なのだと悟った。

そもそも人は全員最初が100点って思い込んだり押し付けたりする事が間違ってるし、自分にとっての100を人に当てはめてあーだこーだ言うのは何も良いことが無いし誰も幸せにならないって分かってるのに。許容できない。自分の中でのアレ?て違和感をおぼえる閾値が激低すぎて全ての人が無理になってしまう。誰とも仲良くなれない。

ある転職エージェントをLINEで紹介してもらった。一度電話で話しませんか?とメッセージがきたので私はそのままLINEで日程調整しようとしたら、まず転職サイトに登録してくださいと言われた。「登録しました!」とLINEメッセージを送ったところ、既読無視されたまま日程調整メールが転職サイトを通じてペッと送られてきた。

これだけで私は「えっ?」となってしまうのである。転職サイト経由で日程調整したいのはあなたの都合でしょう。しかもそっちから電話で話しましょうと言ってきたのなら、LINEで「せっかく日程をご提案頂きましたがその日は難しいです。ごめんなさい!よろしければご登録頂いたメールアドレスあてに日程調整のメールをお送りしますので、そちらを使ってご相談させて頂けないでしょうか?」とかなんとか送って来てくれてたら私は「はい!メール確認します!」とLINEを送り、メールを見て日程調整したのに。なんかもうどうでもよくなってしまってその転職エージェントを紹介してくれた子にお断りの連絡を入れた。

なんか、こういう小さいことだけど大事なことを平気でしない人が無理〜。多分たくさんの就活者を相手にしていていちいち送るのもめんどくさいだろうから、ユーザー辞書でもコピペでもいいからひと言LINEで伝えればいいだけの話なのにって思っちゃう。ここまでネチネチ考えてしまうのは、自分がそういうところを大切にしているから。でも、自分もまだ全然できていない時がある。だからこそ、言葉が足りなかったなとか言い過ぎたなとか思ったらアチャーて反省・改善していきたいし人からの意見を聞き入れて"謝れる人"でいたいと思っている。

みんなはどうやって人と付き合っていってるんだろう。アレ?と思うことがあっても飲み込んでそのまま付き合いを続けるのか、それともアレ?と思うことが対人関係の中でそもそも無いのか。

私はアレ?と思うことがありながらも我慢して人づきあいをするぐらいなら人と関わりたくないと思ってしまう。が、だからといってこの先ずっと1人で行きていく覚悟も諦めもまだできそうにない。このままめんどくさい拗らせコドモおばさんになっちゃうのかな〜。なりたくないよお〜。

どこかで折り合いをつけるしかないのかもしれないが、我慢や無理はしたくない。対人関係って実は自分の問題なんだよなあ。自分が好きなことや夢を追求し続けて、自分の嫌なところやみっともないとこと向き合いきれたら、もっと一緒にいたい!と思える上のフェーズの人たちに出会えるのかもしれない。まだ心から"ご縁に感謝!"はできそうもない最悪の人間だけど、人に文句ばっかつけてないで、人にアレ?と思う所が見えたらそれは自分の改善点が見つかったのだと思うことにしよう。感受性が高い事と、いちいちなんでも気になって文句つけちゃう事は全くの別モノだ。あぁ生きるって難しい。