あやまほし

観劇・体験レポとエッセイ

情は一泊二日で湧く

昨日、コンタクトの交換をリマインダーが知らせてくれた。

古いレンズを捨て、新しくて綺麗なレンズをつける。ありがとう、毎日私が日常生活を円滑に送るための手助けをしてくれて。そして、ハロー、新しいマンスウエア。こんなふうに簡単に、自分がしあわせに生きていくための手段を携え、手放し、一新していけたらいいのに、勝手にこんがらがっちゃうのが人間だね。夜な夜なyonawo聴こう。

先日、本当に素敵なご縁に恵まれて、瞑想のセッションをやって頂きました。え、それって何すんの?!と16:9のフレームの前で訝しげな顔をしているあなた。そうなってしまうのも無理はないけど、とっても簡単なことです。自分の、自分だけの呼吸をまたできるようになるための時間です。

”いきのしかた”って、”いきかた”なんだって分かった。てか、もう今はあんまり16:9じゃなくなってきてるのか。どんな枠でも、自分の見たいものを見ていたいね。

自分で勝手に生き辛くなっちゃってたんだ。セッションをしてくださったゆーじんさんから言われた「自分が自分を好きになれている分しか人からは好きになってもらえないんだよ」という言葉の意味が帰り道で急に分かって、自転車乗りながらめちゃくちゃに泣いた。いつも立ってるパチンコ屋の交通整理のおじさんの視線もお構いなしに鼻水出して泣いた。だから、いっぱい愛を与えたつもりでも、それだけしか好きになってもらえなかったのか。大切にされなかったのか。自分を好きになって、どんな自分も認められるようになることが最優先だったのに、先に与えようとしすぎてたなあ。そして、返ってこなかった自分が与えたはずの、私が私を好きになりきれなかった分から溢れて宙ぶらりんになった愛を、私は食べようとしてたんだなあ。愛を食べようとして、実は自分で自分を傷つけてたの、なんて逆説の平手打ち。

私は18歳の頃から過食症と付き合い続けている。過食はリストカットのような自傷行為だと知ったのは6年前。でも、原因が分からずやめることができなかった。ただ意志が弱いのだと思っていた。食べている間はすごく惨めだった。隠れて一人になって詰め込んだあとは決まって、世界から切り離されて取り残されたような気持ちになるのだった。だから、大切な人たちと「美味しいね!楽しいね!」って言い合ってごはんを食べられるのが本当にありがたいし幸せなの。こんなにも幸せって感じられるようになれたことが唯一の副産物かな。

今なら、自分を好きな自分のまんま、め〜いっぱい愛すのになあ。そしたらいっぱい好きをもらえたかなあ。未熟だった私、よく頑張りました。気付かせてくれた君、ありがとう。今なら、今ならぜ〜んぶみんな愛せるのに。まずは自分を好きになって、自分を満たすところから。どんな自分も愛おしい。どんな自分も認めていく。相手は鏡だから、『こんだけしか愛せないよ〜。もっと自分を愛しなよ〜』て言ってくれてたんだね。今になって気付いた。気付けたよ!私に気付かせようと、いっぱい知らせてくれてたんだね。知という愛をくれていたんだね。ちゃ〜んと返ってきていたんだ。ありがとう。

「あやちゃんのこと大切にしたいのに、大切に仕方が分からない」って言われたことがあるの。そうさせていたのは他でもない自分だったのね。わ〜るいことしたねえ。付き合わせちゃったねえ。一緒に苦しめちゃってごめんねえ。せめて憎悪でもいいから抱いててくれ。無がいちばん怖い。キルクルの法則って本当にあるんだ。手放して隙間を空けなきゃ、新しいものは入ってこない。とたんに、面白いぐらい隙間に入って来てくれるもんだなあ。本当に、人生はうまいことできてるなあ。もう、手放すのこわくないよ。こと恋愛においては理論武装しちゃう自分にほんと笑っちゃう。人にはいつも、やらない言い訳探さずにまずやってみろって説教してんのにね。笑「本当に好きかどうか分からなくても、好きって思い込みたいだけだとしても、それはもう好きってことなんだから、尊いじゃん」って。なんてうつくしい言葉をくれるんだ君は。迫りくる終電に追いついてしまうフロントガラスの、雫を通した光を吸い込む”静謐”という言葉を可視化したような横顔が眩し。

しっかし、会いたい人には会えないもんだなあ〜😝!手がかり無いのに顔だけはハッキリ分かるのもどかしすぎ。川崎、横浜行くからね。ペンダントの君。さしずめ「拝啓、王子様☆ミ」だハハ。

銭湯の御曹司だったらどうしよう!

出しそびれる予定の手紙を書きます。

 

すぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。はぁ〜〜〜〜〜〜〜。

この世の巡り合わせって、何なんやろなあ。

交差して、離れて、ゆうらりゆられ軽く生きよう

ありがとう、いっぱい関わってくれて。たくさん伝えてくれて。そして

ハロー、新しい私。