あやまほし

観劇・体験レポとエッセイ

男と物件はいくらでも

「わ、私と

 

ときめきメモリあってくださ〜〜〜い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

例えばさ、一目惚れして、会えた時間は40分ぐらいしかなかったのにある日どこかでバッタリ遭ったとして、その人がもし瓜二つの一卵性双生児の片割れだったらちゃんと気付けるのかなって。どこがどこまでその人ならまだ好きで、どこから好きじゃなくなるんだろう。ロミオとジュリエットだって5日間しか会ってないんだし。顔や体型がほんのちょっとしか違いがなくてステータスもそのままそっくりに偽られていたとしたら、私は見抜けるのだろうか。人はその人の何を見て、好きだとか好きじゃないとか判断するのだろう。それはタイミングとか順番だけで片付けて良いもの?いや逆にそういう時こそタイミングとか順番なのかな。やっぱり先んじた方が何事も制するってこと?でも先んじて選ばれるブスより福がある残り物美人がいいわ。とかいつも思っちゃうし残念な美人好きだからダメなのかな。もうそろいい加減悲劇のヒロインぶりたくなっちゃうのやめさせてくれや〜。

いや!先んじて選ばれる美人なるます!!!(アーニャ)

だから見かけじゃなくて中身で判断しなくちゃいけないの?じゃあ中身ってなに?プロフィールや話し方を模倣したらその人のことも好きになっちゃうのかなあ。ならなんでタイプ・人の好みは存在するのだろう?誰でも好きになれる方が種の保存という命題において生存戦略的には有効な気がするけど、実際には外見でも内面においても人それぞれ好みやタイプが存在してはいるよね。だし、タイプを絞らない方が選り好みしないから恋愛うまくいくように思えるけど、そういう人って、つまり、こだわりが無い人ってつまらんのよなあ(笑)だからパイを広げてるつもりが逆に誰からも選ばれないってこと起きがちなんじゃない?もうこういうこと考え出すと何が正解なのか分からなくなるからやっぱ恋愛なんて98%の思い込みで成り立つのだと思う。(当社比)

毎日、もしくは定期的に顔を合わせている家族が恋人が、違う世界線の"本人"に変わっていたとしても、自分が知っている、もしくは自分のいる世界線のその人だと思い込んで毎日生きてるってこともありはしないか?と。だとしたら、究極誰でも良いのかな。"かけがえのないオルタネイティブ"って感じだわ。

「暇だからそういうこと考えちゃうんだね、あ、これ褒めてるよ」って全然そんなふうに聞こえないんだが!!!!!!!!(怒)余暇から哲学は生まれるんじゃい!!!

でも何より、事実、君と出会うことによって得られたトキメキやワクワクやその他言語化しきれないハートが暖かくなるような感情は真実なのだ。この気持ちだけはほんとうって言える。なんかもう、それで良いのかな。この"ほんとう"の前では、正しいも間違いも良いも悪いもないのだ。嘘からまこと出してみせるよ。

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俵万智さんの短歌でいちばんすき!

「チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月」

攫ってつかまえて格納していいよ。